intro essay(2025.05.29)

横浜美術館の再開記念展覧会を観てきた。
一つのドキュメントが綴られた(美術展というより)展覧会と成っていて、それはそれで、いろいろ楽しめ且つ考えさせられる見応えのある展覧会だった。
その考えたことのひとつ、奈良原一高の仕事が並んでいる壁の前で思ったこと。

奈良原一高という写真家の仕事を以前のボクはもっと別の眼でみていたなぁ、と並んでいる作品を眺めつつ考えていたのだ。その思いが思い出としてしか甦らなくて、目の前にある写真に衝撃を受けないのである。それは、なぜか。つらつら考えていた。
そして、こんなことに気がついた—

奈良原一高——彼の作品は、単眼で現実を切り取る鋭さにある。かつてナラハラの写真に驚いたのは、単眼で現実を切り取る鋭さだったのだ。現実の細部、瞬間の切れ味、疾走する現実の暗部の痛み—それが、単眼だからこそ、捉えられている。そういうことを心得ていま見直すと、その絵から、そんなに迫ってくるものがない。写真のレンズという単眼の方法だからこそ、真理を暴けるという思想が、あの時代には生きていた。
そういえば、ボクは(80年代初めのことだった)敦煌莫高窟を訪ね、砂漠のなかの莫高窟の前に投げ出され、カメラという単眼で<世界>を視ることの狭さ、不自然さ、を痛切に知らされてニコンF2を捨てたのだった。
絵画は、つねに二つの眼で、世界を描写し世界を理解しようとしてきた。文学も音楽も演劇も舞踊も、そこに方法の起源を置いている。それは、<世界を観る身体>という方法といってもいい。
しかし、ナラハラは、そういう身体性を、言い換えれば<両眼で世界を視ること>という人間の方法を、日常に魂を売った視覚と断じてみせたのだった。それも、彼の全身を投げ出して、単眼に賭けたのだった。当時(20世紀後半)は、その方法が、だれもが感じていた日常の漠然とした虚偽感を暴いてみせ、みんな驚いたのだった。
あのときは、たしかにそうだった。時代の先端を行くことが大切だった。単眼で世界を観ることが最新の最強の武器と信じていた時代があった。
(たしかに、キュビズムの方法は、単眼—当時快進撃を始めた<写真>の思想—を徹底した試みだった。しかし、ピカソもブラックも、生涯を立体主義には賭けなかった。)
21世紀の四分の一を生きて来た現在(いま)、それでよかったのか、とナラハラの前で考える。

(2025.05.29)