原子力はまず戦争の道具として開発された。

原子力の平和利用という言葉がこの半世紀ほど大手を振って使われているが、「平和」のために使うということは、その反義語の「戦争」が対になっていたということだ。

原子力はまず兵器として開発された。究極の破壊兵器の可能性をつねに一方の極に隠しているから、「平和利用」という言いかたが選ばれている。

それが戦争のための準備を手伝っているという意味ではなく、「平和」に利用されているつもりが、突然「戦争」に等しい破壊を招く装置になるということだ。「平和利用」という言葉はそういう危機を含んだ言葉なのだ。

「平和」という表現は、つねに「戦争」をそのなかに用意している。「戦争」と対になった「平和」ではない、そんな世界をどうしたら考えられるだろうか。そんな世界のことをどう呼べばいいのだろうか。現代では、もう、破壊と殺戮のない世界を指示できる言葉を「平和」としか言い表せなくなっているではないか。

2011.5.3