3月11日を経験して

3月11日の地震と大津波、そのあとに続く惨劇(進行中)を経験したいま、ボクたちの書き語るすべてが試されている。

原発反対の署名がまわってきたらそこに名前を書き込んで、やるべきことはやったつもりになっていなかっただろうか。原発反対運動に反対の立場の人も、原発の存在すらに無関心だった人も、日々供給される電力の総量の3分の1が原子力発電によるもので、一秒間に70トンの熱した海水を海に戻して作られた電力をたっぷり使って、日常の暮しを享受してきたことに変りはない。

生活のなかにおける「肯定」を「他者」に委ねることで「安堵」できる思想は、ボクたちの外部をすっぽりと取り囲み包み込み、ボクたちの内部の心的細胞にも染みわたっている。ボクたちの生存のしかたに普遍的な顔をして存在しているこの「安堵」の亡霊にどう対恃するか。それが試されている。

2011.3.25