essay
「抗菌」のいかがわしさ
文房具にまで「抗菌」とか「除菌」とか記してあるのをみつけて、吃驚した。 そんなに無菌状態になってどうするんだ。「抗菌」だったら清潔で健康な生活が保証できるというのは、人間の身勝手な欲望である。いつも、雑菌となかよく上手につきあっていくことこそ必要だし、それがいちばん「人間的」な生きかただと思うのだが…… 2010.3.10
スイートピーの花束を卓上に
二年間続けた横浜美術館塾を終えた日、みなさんからスイートピーの花束をもらった〔先日、例によって集まりのあとみんなでお茶をのんでいるとき、お好きな花はなんですかと尋かれたのは、そんな企みだったのか〕。 花束をガラス壷に投げ入れて食卓のまんなかに置いただけなのに、白や薄紫や黄色い花が、やわらかい光〔とほのかな匂い〕を部屋に漂わせはじめた。 日頃は、絵を前にして理屈っぽいことばかり考えているが、こんな花 […]
とてもとても寒い日には……
一気に寒い日がやってきた。 こんな日には、バッハのヴァイオリン・ソナタが無性に聴きたくなる。熱い紅茶(やっぱりダージリン)に、蜂蜜をたっぷり入れて、すすりながら。 ソナタNo.1のはじまりの、切ない、啜り泣くようなヴァイオリンの調べに、おだやかなチェンバロの伴奏が居ずまいをただして付き添ってくれれば、この世の寒さを抱きしめながら、そっと生きていこうと、囁いてくれるような気がするではありませんか。 […]
大里君が亡くなった……
2009年11月16日未明、この一年の闘病の果ての悲しい報せだった。病状の厳しいことは早くに教えられていたけれど、こうして彼の死の報せに直面するのはつらい。 もっと生きていてほしかった。 大里君とは、ボクは、横浜国立大学へ就職してから、メディア研究講座という研究室に所属するなかで、最も気のおけない若い同僚仲間の一人だった。メディア研究講座は、大学のなかでも、とくに時代と社会、制度に対する若々しい批 […]
時とともに巡るもの ──池内晶子の新作に寄せて
まんなかがぽっかり空いた輪になっていて、その輪から無数の糸が伸び拡がり、全周囲に張り巡らされて網目を作っている。その一本一本に、小さな結び目が、これも無数に結ばれている。四本の、やや太い糸が四つの方向にピンと引っ張られ、壁に繋がっている。作品を支えているのは、この四本の糸だけである。いいかえれば、この四本の糸が作品を部屋の中央に浮き立たせている。中心の円い輪から伸びる無数の糸の結び目からは、細い糸 […]