A アルベルティ

「人間萬事塞翁馬」(『淮南子』)は、古代中国・戦国時代(紀元前3世紀)の本に出てくる言葉ですが、現代のわれわれは、これを「ニンゲン バンジ サイオウガウマ」と読んでしまいます。やはりこれは、「ジンカン バンジ…」と読まないといけないのですが、明治の中頃から「人間」という漢字を「にんげん」と読むようになっていきました。 「ジンカン」から「にんげん」へという過程のなかに、「近代」の問題が潜んでいます。明治7年に発行された字典にはまだ「ジンカン」としか読ませていないのに、明治24年に出る『言海』は「にんげん」という音を当てています。「人間」を「にんげん」と発語することによって、日本語生活者は、ヨーロッパの言語で使われている human being という概念を掌中にしたのですが[そこになお孕んでいる問題—「にんげん」と発語してもなお、「世の中」と「ひと」の区別を曖昧にしたまま使っていることから観察できる問題—について、28日にはちょっと触れましたが、この要約では省略します]、このhuman beingとしての「人間」概念が浮上してくるのが、ルネサンスと呼ばれる時代です。

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アルベルティ( Leon Battista Alberti, 1404-72 )は、このルネッサンスの初期を生きた人で、一般に遠近法を理論化した人として知られています。彼の生涯の跡を辿ってみますと、1404 ジェノヴァに生まれる。

1327—1428 アルベルティ家はフィレンツェから追放

1421 パドヴァからボローニャへ(法律を勉強)

1431 ローマ教皇庁書記

1434 教皇エウゲニウスⅣに従いフィレンツェ入り

1435 『絵画論』ラテン語版

1436 『絵画論』トスカナ語版

1443以降?『彫刻論』

1446−51 パラッツォ・ルッチェライ正面(フィレンツェ)設計

1448−70 サンタ・マリア・ノヴェラ聖堂正面・側面(リミニ)

1452 『建築論』(1443−45,47−52,出版は1485)

1453頃 サント・ステファノ・ロトンド聖堂改修指導(ローマ)

1459− サン・セバスティアーノ聖堂(マントーヴァ)

1467 ルッチェライ家小礼拝堂(フィレンツェ)

1468 『デ・イルアルキア』[道徳・文化論]

1471−2 サンタンドレア聖堂、設計(マントーヴァ)

『絵画論』を書いた後、建築の設計をいくつかやっていて、時間の流れからみると、『絵画論』は建築の仕事の出発点になっている。これは、逆の眼でみると、彼の絵画論は、建築の視点から論じられているということです。 もう一つ別の謂いかたをすると、アルベルティのみならず、当時のヨーロッパの人たちは、絵画・レリーフ・彫刻・建築(建物の構造と装飾)は一体のものとして考えていた、ということです。 古く辿れば、東アジアでも、画と建物は一体でした。しかし、「画」を理論化していこうという動きが起こってきたとき、東アジアでは、「書画同源」論のような考えが力を持ち、絵と書を一体として考える思想が組織化され定着したのに対し、ヨーロッパの方では、絵画の可能性を建築—彫刻に求め、そこから絵画の理論化が進められていったというわけです。

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アルベルティの『絵画論』について、その内容を28日にはいろいろ紹介しましたが、ここ[要約]では、そのなかから、現代のわれわれが問題にしてみると面白いのではないかというポイントを拾っておきます。

①まず、遠近法[一点透視図法]といわれるもののみかたとらえかたによる「絵画」の理論を用意したこと。(お配りした図2−1にあるように)対象の立体的な像[三次元に展開する自然/世界]を「視覚ピラミッド」が作る切断面[インターセクション][平面]に represent (描写・再現)するのです。ブルネレスキはこれをじっさいにフィレンツエェ洗礼堂を描いた板に小さい穴を空け、その絵を映した鏡を穴から覗くとその平面の絵の像が立体的に見えるという実験をやってみせました[28日にはこれを手作りの装置(?)でご披露しましたが]。 この切断面=平面に世界を描く[再現する]ことができるという方法によって、絵画のありかたは、「壁画」から「タブロー」へと移行したのです。タブロー、 tableau は、こんにちのわれわれは「額縁に入った絵」という意味で使います。 tableau という単語は、本来は、「板」「札」「表」[名簿]とかいった意味を持っています。現在でもフランス語なんかではそういう意味で使います。「額縁に入った絵」「板」「札」「表」という言葉に共通しているものがあります。—それは「持ち運びができること」ということです。つまり、遠近法の発明によって「絵画」は「持ち運び出来る」ものになったのです。そして、その「絵画」は「人間」が「世界」を一つの平面に封じ込めた「像」であるのです。ここにきて、「人間」の自由になる、持ち運び可能な「作品」の中に「世界」=神の産物が閉じ籠められたのです。(註1) 遠近法というのは、単に絵を描く方法のことではなく、近代という時代の物のみかた、とらえかた—すくなくともそのみかた、とらえかたの底辺を保証する方法となるのです。 文学の領域にも同じ現象が起こっています。 アルベルティから一世紀後の人でジョルジオ・ヴァザーリという人がいて、レオナルドやミケランジェロなどイタリアの画家、彫刻家、建築家の伝記を書いた人がいます(1850年初版出版)。そこで、ヴァザーリが、アルベルティとグーテンベルクとを並べています[引用略]。 アルベルティの遠近法によって世界の像[イメージ]が持ち運びできるものになったように、物語・小説も印刷され本となって持ち運びできるものになったというわけです。 フランス語 roman (ロマン)、イタリア語で romanzo (ロマンゾ)というのは、日本語に訳すと「小説」というより「長篇小説」にしたほうがいいのですが、短篇中篇物とちがうという点で、もうちょっと深い意味を隠し持っています。「タブロー」と「ロマン」、「デッサン、ドローイング」と「短篇中篇小説」は、それぞれちょうど対応する概念ですね。それまで騎士道物語のようなものであったロマンが、印刷機械の普及につれて長篇小説へと変貌する。それまで、写本のように、手で写し取っていた本は、教会の所属物で、おいそれと持ち運びは利かない[壁画と比喩的に相似です]。それが、グーテンベルクの発明によって本屋へ行けば誰でも手に入れることができるようになる。そのとき、その誰にでも手に入れることができる「本」には、「一人」の「作者」が[一点透視図法でとらえた絵のように]「世界」の「全体像」を描き出してみせてくれるのです。ロマンは、騎士道物語のような単なる英雄の活躍するお話ではなく、一人の「人間」[作者=天才]によって、この世の、人々を動かし動かされている「世界」の姿が、作者によって発見されたその体系[からくり]の秘密とその様相が描かれているのです。 こうして、「ロマン」は、近代の文学の主役となっていきます。「タブロー」が絵画の領域の主人となっていくように。

②アルベルティは、そういう絵画はhistoria (ヒストリア)であるべきだといっています。ラテン語の historia は、フランス語の histoire (イストワール)、英語の history (ヒストリー)に当ります。フランス語の histoire などいまでも辞書を引くと「歴史」という意味のほかに「話」「物語」という意味があることが判ります。ですから、この histria は「歴史画」と訳すより「物語る絵画」とでも訳したほうがいい。(註2)一つの平面に封じ込められた「世界」は、その「世界」を物語っていなければならないのです。

③「光線」概念も現代の理解とちがっていて、むしろ幾何学で引く「線」という意味で使っています。「色」についても、現代の理解とまったくちがいます。黒と白は色ではないと彼はいいますが、それと、「四原色」論も深いつながりがある[つまり一つの哲学から産み出された考えだ]ということに気づいておきたい。「色」の現象を、彼は「自然」のありかたとの密接な関連のなかでとらえようとしている点です。物には色なんてないんだ、脳がそう判断してるだけだという説があるくらいの現代で、もういちどアルベルティの考えを検討してみることは大切かもしれません。

④『絵画論』では、アルベルティは、空間を数学[幾何学]の方法で説明したいと書いています[そしてそれは、この本の最大の成果だというのが後世の評価です]が、しかし、彼は、この本のなかでまったく図表とか数式とかを使っていません。後世の研究家はそこで、彼の言説をなんとか図式化しようとして、いろいろ試みています[その一端をペンギン・クラッシクスの英訳本からコピーして、当日はお配りしました]。けれども、これまでの諸家の試みは、完璧にその図式化に成功したとはいえないところがあるのです。それはなぜか、考えておきたいところです。現代のわれわれは、とにかく数式化できることを最高の表現[表明]だと考えがちですが、アルベルティの言説をパーフェクトに図式化できないのは、その言説が不備だからと断定していいのかという問題でもあります。逆に、むしろ、現代人は、彼らの散文をもはや完全に解読することができないところに来ていると考えたほうがいいのではないか。 現代の立場から、数式化しきれないから問題があると考えるまえに、あの時代は「数学」をもっと「散文」で考えようとしていたのではないかと考えてみたいということでもあります。数式化し図式化すれば理解が透明になると信じている現代人と対抗する考え方と表現力を、当時[つまりルネサンス初期]の人々は備えていた、それはどんなものだったのか、これはもっとよく見つめ探ってみたいところです。

⑤BookⅡの冒頭には、絵画という表現手段の高貴さ、それを創る画家という職業の尊さを説いていますし、BookⅢでは、そういう画家はただ絵が上手だけではだめで、教養学問をしっかり身につけ他人の意見に耳を傾けることが大切だ、そうしてこそ優れた histria が創れると力説しています。この時期は「神」を「職人」と呼び、天地創造は神による最初の芸術作品だといい(フィチーノ)、「神は最大の画家である」(ブッツバッハ)と言った学者もいたり、「画家は神とその神が創り給うた世界を描く」というので、最も尊敬すべき地位を獲得しようとした時代です。

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アルベルティの理論は、画家を工人から人文学者の地位へひきあげるのに大いに役立ったことは確かです。遠近法は、理性を最大武器として神と世界を把握する「人間」の誕生に不可欠の思想だったのです。神を把握する=理解する、ということは、すでに、神と対決関係にあるということにほかならないのですが[ルネッサンス人はそこまで気づいていなかったけれど]、こうして自分[=人間]を取り囲む世界[=神の被造物]を、人間は自分の力でとらえられるという自信を持つようになるのです。そのとき、人々の生きかたは、「幸福」を求めることから「自由」を求めることへと転換したことも見落してはいけないと思います。アルベルティは、「幸福」から「自由」へと人間の根源的な欲望が転換する分岐点に立つ人でもあったのです。 分岐点に立つ人として、現代のわれわれの生きかたに大きな影響力を持つと同時に、彼の裡には、さきほどの散文と数式の例からも示唆されるような、すべて近代・現代へと汲み上げられなかった思想もあったことも、分岐点の人だからこそ、よく見つめたいと思います。

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現在のわれわれが「美しい」と感じるもの—その判断は、自分が自分の好みと自分自身が蓄え磨いた教養、つまり「自分」の「判断」でやっていると誰しも思っているけれども、ほんとうにそうなのか。じつは、意外に自分で知らないうちに自分のものだと擦り込まれ操作されていたものではないのか、と疑ってみることは大切です。 アルベルティを考えることは、また、そんな問いかけへひとつの材料を提供してくれると思います。

ABCのAとして、まずアルベルティを採り上げましたが、それはAの頭文字を持っている人物だったということのほかに、彼が考えたことをもういちど現代のわれわれの位置から見つめ直すことによって[ということは、ボクにいわせると、もういちどその時代の「彼」の位置へわれわれがどれだけ戻って彼の言ったこと考えたことを考えられるかということでなければならないのですが(註3)]、現代のわれわれが抱えているいろいろな問題に光りを当て直してみることができる—それがこの「土曜の午後のABC」の集まりの隠れテーマでもあり—そういうふうに考えていく最初の一歩を提示してくれるに相応しい人物でした。なにしろ彼は、「近代」の「人間」のものの考え方の基本的な骨格を作ろうとした人だったといえるからです。彼が考えたことは、彼はローマとフィレンツェの周辺の人にだけ語りかけたつもりだったでしょうが、時を経て、ヨーロッパだけでなく、この地球上をおおいつくすほどの拡がりと威力を発揮していくからです。 ボクの「…ABC」も、これを発端に、いわば彼の投げかけた石の波紋を辿るように、問題を追いかけていこうと思っています。

註1:
この考えは、当時つまり初期ルネサンスの神学者たちのあいだに起こってきた「人間の尊厳」[「神」をどのように認識するか、「神」に対して「人間」をどう位置づけるかという問い—そこから理性を持った人間こそ、その理性によって、神を認識できる、いわば「神の代理人」であるという考えが生まれてきます。このとき、「人間」は、「神」と対等の立場に立てたわけです。そういう「人間の尊厳」であって、現代でいう「人権」とか「人格の尊重」という概念はまだ成長していません]の認識[ニコラウス・クザーヌスとかマルシリオ・フィチーノとかピコ・デラ・ミランドラとかアルベルティの同時代の神学者がいっしょうけんめい議論しています]の拡まっていくことと軌/機を同じくしていることを見逃してはいけないでしょう。

註2:
その意味では印象派と呼ばれる絵描きたちが登場するまで、「絵画」は「物語る絵画」でした。

註3:
歴史を勉強するということの基本は、そこにあり、その意味で歴史を勉強することは現代を考え直すことに他ならないと思います。